2015年08月24日

2015年7月からリウマチ治療の変更=アクテムラ始めました☆



でも、『人間の思考はあくまで事実に対しての観測であって、事実そのものではありえない』
とかね、この世を構成するすべての要素と機能は全解明されてないとかが本当だと、私は思ってるんです。
だとしたら、科学的事実にしろ、経験的事実にしろ、
この世のすべてを知らない限り、どんなに丁寧に描写したところで、『そうとはいえない』ってのがでてくるはずなんですよ。
その人にとっては、そうかもしれないけど、だからといってほかの人にとってそうとは限らないみたいな誤差が。
それが人間の唯一無二性なのかもしれません。
事実、まったく同じ生物学的、心理的、社会学的、(スピリチュアル的)な人間なんていないわけだし。
(この事実も間違ってるのかもしれませんけどwww)
結局は、内的な刺激も外的な刺激も、自分の観測なり解釈で理解し、それをもとに選択をするしかないなら、
私はさけぼーーーーー
痛いのは嫌だ、でも治したいのだと!!


そういう曖昧なもの、不確実なものに法則性をみいだすために科学という智恵が生まれ、
でもなんでもかんでも科学実験ができるわけでもないから、人の経験という智恵があるわけで。
今の時代はその両情報にアクセスしやすいありがたい世界ともいえるわけです。
まさに多様性www 21世紀の合言葉でしょうか。

だとしたら、どっちが正しい間違っているという考え方は安易だなと思うようになりました。
(もちろん、科学的にいえばとか、私の経験的に言えばとか、捉える枠組みを限定していけば『正しい』はあるとは思いますが。)当たり前のことだなと思いつつ、私はそういう意識が希薄だったように思います。というか、こういうのを言語化したことがなかったので、なんとなく物事を判断してたところもあります。別にそれはそれでいいんですけど(だってこの世の構成要素も機能も解明されえてないんですからw)、『自分を知る』ためにはこういう作業は大切なのかもしれないなーなんて思います。人を知れば、自分を知れますし、自分をしれば、他人を知れるなと思うわけで。それでも必ず誤差がうまれるんでしょうけど。あんまり自分はわかってないなーってことを知れるっていうのがいいのかもしれないです。

こういう世界観だと、
リウマチ(難病)という不確実な問題を解くためには、
この世にあるあらゆる智恵を自分なりに組み合わせて試行錯誤してるうちに
いい結果がでるかもしれないし、そうじゃないかもしれないんじゃないかなと。

難病を治した人の体験談よんでて、私がいつも思うのは、治るという信念と運のような気がします。
自分の体験談から、いろいろな理論化をしている人もいますが(めっちゃ参考になりますが)、
それも、医者がやる科学的理論化と同様、絶対はないわけですよね。
そういう理論化も既存の学問的知見を参考にしてるものも多いわけです。
うんやっぱ、最後は、その人らしさ、好み、価値観なんじゃないかと思います。

これしか方法がないと思ってるときは、何かを限定しているのかもしれません。
『リウマチは免疫力を抑制してしまったら治らない』とかね。
『リウマチは治らない病気だ』とかね。
原因不明なのに断定できてるのは、ある枠組み内で語っているからですよね。
その考え方が自分に合うならラッキーですし、
そうじゃなければ、違う枠組みを使えばいいんじゃないかと思ったんです☆

みんなが良いっていう枠組みが自分にあえば、安心感がまして信じる力が自動的に増しますが、
それが合わなければしょうがないですよね。going my wayしかない。
あーあー私の正解はどこにあるのかな〜まだまだ旅は続きます。

答えは、結果のみぞ知るですな。


posted by solabox at 18:54 | Comment(0) | 発病〜現在
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